加納美紀代氏オススメの本や代表作は?wikiや被爆を調査!

女性史研究家の加納美紀代さんが、22日に膵臓(すいぞう)がんのため、

お亡くなりになりました。本人の遺志で葬儀は行わないそうです。

加納美紀代さんとはどんな人物だったのか、お調べしたいと思います。

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加納美紀代氏wiki風プロフィール

加納美紀代  (かのうみきよ) (78歳)

1940年   ソウルで生まれる。

1944年   広島市へ移住する。

1945年   8月6日 爆心地から2キロ弱の屋内で被爆した。(当時5歳)父を亡くし、

母の実家の近くの香川県 善通寺市で生活する。

1963年   京都大学文学部卒業。中央公論社へ入社。

1968年   退職。アジア・アフリカ語学院に入学。

1970年   アジア婦人会議に参加する。

・出版社の下請けの仕事で戦争中の生活を調べ、銃後史研究へ踏み出す。

1976年   女たちの現在(いま)を問う会を結成する。

・20年かけて『銃後史ノート』全10巻『銃後史ノート戦後編』全8巻を発行する。

・『銃後史ノート』は、第5回山川菊栄賞受賞。

1985年  「社縁社会からの総撤退を」(新地平11月号)をパートタイマーの立場から唱え、

広い範囲で論争を巻き起こした。

1990年代 「母性」天皇制、

1996年  『女が広島をかたる』(絵師昭子さんらとの共著)出版。

・ジェンダー視点で検討している。

2000年代  ひろしま女性学研究所で、女性とひろしまに関する連続講座を担当した。

2002~2011 敬和学園大学特任教授を務める新潟と自宅のある川崎市を行き来する。

2011年   3.11の原発事故後、原子力の平和利用と広島の関わりを研究する。

・『ヒロシマとフクシマのあいだ』を出版。

2011年 1月  敬和学園大学の最終講義を行う。

内容は「カッチャンはなぜ死んだかーヒロシマから考える日本近代」

※カッチャンは被爆直前一緒に遊んでいた男の子です。

参照元:ジェンダー社会学科研究センター

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加納美紀代さんの被爆体験

1945年の8月6日に、爆心地から2キロ弱の屋内で被爆しました。(当時5歳)

崩れた建物の下敷きとなって、一命をとりとめました。

しかし、ほんの10分ほど前まで一緒に外で遊んでいた、友達のカッチャン(男の子)は

熱線と爆風を受け、痛みに苦しみながら亡くなりました。

そして、わずか500m離れた場所に勤務する父親も亡くなりました。

被爆から5年後、加納さんは腎臓病の診断を受けて休学するなど、体の状態に悩まさ

れ続けます。

ただ、加納さんは「被害体験としてだけ語らない」という考えをおもちです。

たくさんの黒焦げ死体を目にしていたのに、亡くなられた方への敬意も覚えずに焼け跡を歩いていた記憶があります。5歳でしたが、今思えば死者に対するぼうとくでただ「私は被害者でございます」と口にするのは居心地が悪いのです。

引用元:毎日新聞

5歳の女の子が亡くなられたかたへ敬意を覚えて歩けますか!?

自分も死ぬかもしれなかったときに、。ただただ、何も考えられずに悲惨な光景の中、歩い

ていたに違いないのに、。

その想いを一生持ちつ続け、活動をされてきたのですね。慈悲深いという言葉があてはまる

のかわからないですが、大変頭が下がる思いです。

加納美紀代氏オススメの本や代表作は?

wiki風プロフィールにも書かせていただきました、書物についてご紹介させていただきます。

『銃後史ノート』

まず、銃後とは戦後の後方です。直接戦争に携わっていないが、関節的に何かの形で戦争に

参加している一般国民を指します。

加納さんは、出版社の下請けの仕事で戦争中の生活を調べているときに、女性たちが単なる

被害者ではなく、”生き生きと銃後を支えていた”ことに驚いたことから、銃後史の研究に踏

み出されました。

単なる被害者ではないのです。間接的に兵士(男性)を支える側。協力者。つまり、加害者で

もあるのです。

加害者と聞くと、ものスゴく抵抗感が出てきませんか?

戦争はしてはいけない、ヒロシマとナガサキに原爆を落とされた。でも、日本も攻撃をしか

け戦いました。その事実は確かで、戦地に向かう旦那や息子を、女性たちは送り出している

のです。”お国のため”という強制的な思考を強いられた環境とはいえ、本当に生き生きと支

えていたのかも知れません。

事実を知ることは怖いという感情が出てきます。

日本人の悪の部分を見たくはありませんよね?

しかし、実際にあった事実なのです。より、日本人のことが分かり、戦争への理解が深まり

自分の中の本を通しての体験が生まれたときに、新たな思考も生まれこれから生きていく上

での、あなたの糧になると思います。

今は、刊行終了になっているようですが、2019年のこの時代。アマゾンなどで中古製品が

あるはずなので、ぜひ、探してみてださいね!

ヒロシマとフクシマのあいだ

3.11の原発事故後、衝撃を受けられた加納さんが、原子力の平和利用と広島の関わりを研究

され、この本が生まれました。

本の紹介ページから抜粋させていただきますと、

被爆国の日本がなぜ、原発国になったのか?

ヒロシマはなぜフクシマを止められなかったのか? なぜむざむざと54基も

の原発建設を許してしまったのか?

加納さんが”ジェンダー”の視点から書かれています。

ジェンダーとは性別のことです。

社会的な性別で考えられ、女性・男性という見方での性的差別をされるときに使われたり

します。

この本は女性というジェンダー目線で、加納さんの体験・研究をまとめられているようで

す。原発事故はまだまだ終わっていません。ずっと日本は考え続けなければいけません。

出版元は、インパクト出版会より発刊されています。ぜひ、手にとってみてくださいね*

インパクト出版社

まとめ

加納さんはお亡くなりになる前、持病の肺気腫が進行し、酸素吸入器の常時装着を余儀なく

されていて、昨年5月に見つかった膵臓(すいぞう)がんの治療も並行して進めていたそう

です。日によって激しい痛みもあり、それでもなお、地方紙に定期的に寄稿を続けていたそ

うです。加納美紀代さんの研究されてきた戦争の被爆、原発を通してのこれからの日本人の

生き方、女性の生き方については、これからも引き継がれると思います。

皆がいきいきと笑って暮らす社会を望みます。

最後まで見ていただきありがとうございました♪*✫(_)*

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